名古屋高等裁判所 昭和25年(う)901号 判決 1950年8月21日
被告人
佐藤義男
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋地方裁判所に差し戻す。
理由
職権をもつて調査するに、
一、記録によれば、被告人は昭和二十五年三月二十二日本件恐喝被告事件について公訴を提起せられるや同月三十日弁護士大野正直、同森健をその弁護人に選任し同日その旨の弁護人と連署した書面を原審に差し出し(主任弁護人は定められていない)、原審はその日その第一回公判期日を同年四月三日午前九時と指定し、該期日は検察官及び弁護人森健に通知せられたけれども、弁護人大野正直には通知せられることなく同弁護人の不出頭のまま第一回公判が開かれて刑事訴訟法第三百九十一條所定の訴訟手続がなされた後検察官の続行申請によつて次回公判期日は同月十四日午前九時と指定せられ、訴訟関係人に出頭が命ぜられたけれども、右期日は不出頭の弁護人大野正直に通知せられることなく、同弁護人不出頭のまま第二回公判が開かれて前回に引続き訴訟手続がなされてその弁論が終結せられ、判決言渡期日が同年四月十七日午前九時と指定せられ、訴訟関係人に出頭が命ぜられたけれども、その期日は不出頭の弁護人大野正直に通知のなされることなく、各弁護人不出頭のまま右第三回公判が開かれて判決の言渡のせられたことが明らかである。而して右弁護人の選任届は、その届書が本件記録第四丁に、右第一回公判期日の指定の裁判書が同第五丁に、弁護人森健の右期日の請書が同第六丁に夫々編綴せられておることからして右期日の指定に先んじて行われたものと認めることができるので、弁護人大野正直に対しても右第一、第二及び第三の各公判期日を通知しなければならなかつたのにも拘らず、原審はすべて之を忘却し、弁護人大野正直をして全くその弁護権を行使せしめることなくその公判手続を開始、進行終結して判決の言渡をなしたもので、かくの如きは弁護権を全く制限した顕著な事例といわなければならない。尤も右第二回公判調書の記載によれば、被告人は弁護人大野正直の弁論を抛棄する旨陳述しておるけれども公判期日の通知をしなかつた弁護人の弁論の抛棄又は右弁護権の制限に対する被告人の承認は未だもつて右弁護人固有の弁護権の制限という瑕疵を治癒し之を違法でないものとなすことはできない。すなわちかように弁護権を全く制限してなされた原審の公判手続は全く無効のものという外なく、従つて原審の訴訟手続には法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。